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や御坐しましなん。これは各々の御心のさからせ給いて候なり。人の科をあつるにはあらず。また一つには法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか。ゆゆしき御僻事なり。これ程の御悦び、まいりても悦びまいらせたく候えども、人聞きつつましく候いて、とどめ候い畢わんぬ。
乃時 日蓮 花押
西山殿御返事
(354)
宝軽法重事
建治2年(ʼ76)5月11日 55歳 西山殿
笋百本、また二十本、追って給び了わんぬ。
妙法蓮華経の第七に云わく「もしまた人有って、七宝をもって三千大千世界に満てて、仏および大菩薩・辟支仏・阿羅漢に供養せんも、この人の得るところの功徳は、この法華経の乃至一四句偈を受持する、その福の最も多きにはしかじ」云々。文句の第十に「『七宝を四聖に奉るは、一偈を持つにしかず』と。法はこれ聖の師なり。能生・能養・能成・能栄、法に過ぎたるはなし。故に、人は軽く法は重きなり」云々。記の十に云わく「父母必ず四つの護りをもって子を護るがごとし。今、発心、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(353)蒙古使御書 | 建治元年(’75)9月 | 54歳 | 西山殿 |
(354)宝軽法重事 | 建治2年(’76)5月11日 | 55歳 | 西山殿 |