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し時は、国をしり、妻子安穏なり云々。敵なき時は、つゆも空へのぼり、雨も地に下る。逆風の時は雨も空へあがり、日の出の時はつゆも地におちぬ。されば、華厳等の六宗は、伝教なかりし時は、つゆのごとし。真言もまたかくのごとし。強敵出現して、法華経をもってつよくせむるならば、叡山の座主・東寺の御室等も、日輪に露のあえるがごとしとおぼしめすべし。法華経は、仏の滅後二千二百余年に、いまだ経のごとく説ききわめてひろむる人なし。天台・伝教もしろしめさざるにはあらず、時も来らず、機もなかりしかば、かききわめずしておわらせ給えり。日蓮が弟子とならん人々は、やすくしりぬべし。
一閻浮提の内、法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候わず。いかでかあらわれさせ給わざるべき。しげければ、とどめ候。
たけのこは百二十本。法華経は二千余年にあらわれ候いぬ。布施はかろけれども、志重き故なり。当時はかんのうと申し、大宮づくりと申し、かたがた民のいとまなし。御心ざしふかければ、法もあらわれ候にや。恐々謹言。
五月十一日 日蓮 花押
西山殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(354)宝軽法重事 | 建治2年(’76)5月11日 | 55歳 | 西山殿 |