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でせめぬ。後に石と見ては立つことなし。後には石虎将軍と申しき。貴辺もまたかくのごとく、敵はねらうらめども、法華経の御信心強盛なれば、大難もかねて消え候か。これにつけても能く能く御信心あるべし。委しく紙には尽くしがたし。恐々謹言。
弘安元年戊寅後十月二十二日 日蓮 花押
四条左衛門殿御返事
(216)
日眼女造立釈迦仏供養事
弘安2年(ʼ79)2月2日 58歳 日眼女
御守り、書いてまいらせ候。
三界の主・教主釈尊の一体三寸の木像造立の檀那・日眼女、御供養の御布施、前に二貫、今一貫云々。
法華経の寿量品に云わく「あるいは己身を説き、あるいは他身を説く」等云々。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗等、大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王、日天・月天・明星天、北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王、天神・地神・山神・海神・宅神・里神、一切世間の国々の主とある人、いずれ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(215)四条金吾殿御返事(石虎将軍御書) | 弘安元年(’78)閏10月22日 | 57歳 | 四条金吾 |
(216)日眼女造立釈迦仏供養事 | 弘安2年(’79)2月2日 | 58歳 | 日眼女 |