1612ページ
今、日眼女は、今生の祈りのようなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給い候えば、後生も疑いなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし。委しくはまたまた申すべく候。恐々謹言。
弘安二年己卯二月二日 日蓮 花押
日眼女御返事
(217)
陰徳陽報御書
弘安2年(ʼ79)4月23日 58歳 四条金吾
なによりも人には不孝がおそろしきことに候ぞ。とののあに・おととは、われと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、かれこそ不孝のもの。とののみにはとがなし。おうなるいどもこそ、とののはぐくみ給わずば、一定不孝にならせ給わんずらんとおぼえ候。所領もひろくなりて候わば、我がりょうへも下しなんどして、一身すぐるほどはぐくませ給え。さだにも候わば、過去の父母定めてまぼり給うべし。日蓮がきせいも、いよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬようにておわすべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(216)日眼女造立釈迦仏供養事 | 弘安2年(’79)2月2日 | 58歳 | 日眼女 |
(217)陰徳陽報御書 | 弘安2年(’79)4月23日 | 58歳 | 四条金吾 |