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の難を払い、後生には必ず仏になるべしと申す文なり。
そもそも、女人は一代五千・七千余巻の経々に「仏にならず」ときらわれまします。ただ法華経ばかりに「女人、仏になる」と説かれて候。天台智者大師、釈して云わく「女に記せず」等云々。釈の心は、一切経には、女人、仏にならずと云々。次下に云わく「今経は皆記す」と云々。今の法華経にこそ「竜女、仏になれり」と云々。天台智者大師と申せし人は、仏滅度の後一千五百年に漢土と申す国に出でさせ給いて、一切経を十五返まで御覧あそばして候いしが、「法華経より外の経には、女人、仏にならず」と云々。妙楽大師と申せし人の釈に云わく「一代に絶えたるところなり」等云々。釈の心は、一切経にたえたる法門なり。
法華経と申すは、星の中の月ぞかし。人の中の王ぞかし。山の中の須弥山、水の中の大海のごとし。これ程いみじき御経に「女人、仏になる」と説かれぬれば、一切経に嫌われたるに、なにかくるしかるべき。譬えば、盗人・夜打ち・強盗・乞食・乞丐にきらわれたらんと、国の大王に讃められたらんと、いずれかうれしかるべき。
日本国と申すは女人の国と申す国なり。天照太神と申せし女神のつきいだし給える島なり。この日本には、男は十九億九万四千八百二十八人、女は二十九億九万四千八百三十人なり。この男女は皆、念仏者にて候ぞ。皆、念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす。現世の祈りもまたかくのごとし。たとい釈迦仏をつくりかけども、阿弥陀仏の浄土へゆかんと思って、本意のようには思い候わぬぞ。中々つくりかかぬにはおとり候なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(216)日眼女造立釈迦仏供養事 | 弘安2年(’79)2月2日 | 58歳 | 日眼女 |