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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

か教主釈尊ならざる。天照太神・八幡大菩薩も、その本地は教主釈尊なり。例せば、釈尊は天の一月、諸の仏菩薩等は万水に浮かべる影なり。釈尊一体を造立する人は、十方世界の諸仏を作り奉る人なり。
 譬えば、頭をふればかみゆるぐ。心はたらけば身うごく。大風吹けば草木しずかならず。大地うごけば大海さわがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。
 今の日眼女は三十七のやくと云々。やくと申すは、譬えば、さいにはかど、ますにはすみ、人にはつぎふし、方には四維のごとし。風は方よりふけばよわく、角より吹けばつよし。病は肉より起これば治しやすし、節より起これば治しがたし。家にはかきなければ盗人いる。人にはとがあれば敵便りをうく。やくと申すはふしぶしのごとし。家にかきなく、人に科あるがごとし。よきひょうじをもってまぼらすれば、盗人をからめとる。ふしの病をかねて治すれば命ながし。今、教主釈尊を造立し奉れば、下女が太子をうめるがごとし。国王なおこの女を敬い給う。いかにいわんや大臣已下をや。大梵天王・釈提桓因王・日月等、この女人を守り給う。いわんや大小の神祇をや。
 昔、優塡大王、釈迦仏を造立し奉りしかば、大梵天王・日月等、木像を礼しに参り給いしかば、木像説いて云わく「我を供養せんよりは優塡大王を供養すべし」等云々。影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも、またまたかくのごとし。
 法華経に云わく「もし人、仏のための故に、諸の形像を建立せば、かくのごとき諸人等は、皆すでに仏道を成じたり」云々。文の心は、一切の女人、釈迦仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小