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わらせ給いて御たすけ候か。
これはさておきぬ。今度の御返りは神を失って歎き候いつるに、事故なく鎌倉に御帰り候こと、悦びいくそばくぞ。余りの覚束なさに、鎌倉より来る者ごとに問い候いつれば、ある人は湯本にて行き合わせ給うと云い、ある人はこうづにと、ある人は鎌倉にと申し候いしにこそ、心落ち居て候え。これより後は、おぼろけならずば、御渡りあるべからず。大事の御事候わば、御使いにて承り候べし。返す返す今度の道は、あまりにおぼつかなく候いつるなり。
敵と申す者は、わすれさせてねらうものなり。これより後に、もしやの御旅には、御馬をおしませ給うべからず。よき馬にのらせ給え。また供の者ども、せんにあいぬべからんもの、またどうまろもちあげぬべからん御馬にのり給うべし。
摩訶止観第八に云わく、弘決第八に云わく「必ず心の固きに仮って、神の守り則ち強し」云々。神の護ると申すも、人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎなれども、つかう人によりて物をきり候か。
されば、末法にこの経をひろめん人々、舎利弗と迦葉と、観音と妙音と、文殊と薬王と、これら程の人やは候べき。二乗は見思を断じて六道を出でて候。菩薩は四十一品の無明を断じて十四夜の月のごとし。しかれども、これらの人々にはゆずり給わずして、地涌の菩薩に譲り給えり。されば、能く能く心をきたわせ給うにや。
李広将軍と申せしつわものは、虎に母を食われて、虎に似たる石を射しかば、その矢、羽ぶくらま
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(215)四条金吾殿御返事(石虎将軍御書) | 弘安元年(’78)閏10月22日 | 57歳 | 四条金吾 |