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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(215)

四条金吾殿御返事(石虎将軍御書)

 弘安元年(ʼ78)閏10月22日 57歳 四条金吾

 今月二十二日、信濃より贈られ候いし物の日記、銭三貫文、白米・能米俵一つ、餅五十枚、酒大筒一つ・小筒一つ、串柿五把、柘榴十。
 夫れ、王は民を食とし、民は王を食とす。衣は寒温をふせぎ、食は身命をたすく。譬えば、油の火を継ぎ、水の魚を助くるがごとし。鳥は人の害せんことを恐れて木末に巣くう。しかれども、食のために地におりてわなにかかる。魚は淵の底に住んで、浅きことを悲しみて、穴を水の底に掘ってすめども、餌にばかされて鉤をのむ。飲食と衣薬とに過ぎたる人の宝や候べき。
 しかるに、日蓮は他人にことなる上、山林の栖、なかんずく今年は、疫癘・飢渇に春夏は過ぎ越し、秋冬はまた前にも過ぎたり。また身に当たって所労大事になりて候いつるを、かたがたの御薬と申し、小袖、彼のしなじなの御治法に、ようよう験し候いて、今、所労平愈し、本よりもいさぎよくなりて候。弥勒菩薩の瑜伽論、竜樹菩薩の大論を見候えば、定業の者は薬変じて毒となる、法華経は毒変じて薬となると見えて候。日蓮、不肖の身に法華経を弘めんとし候えば、天魔競いて食をうばわんとするかと思って歎かず候いつるに、今度の命たすかり候は、ひとえに釈迦仏の貴辺の身に入り替