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ば、法華経の文字を拝見せさせ給うは、生身の釈迦如来にあいまいらせたりとおぼしめすべし。
この志、佐渡国までおくりつかわされたること、すでに釈迦仏知ろしめし畢わんぬ。実に孝養の詮なり。恐々謹言。
文永九年 月 日 日蓮 花押
四条三郎左衛門尉殿御返事
(196)
呵責謗法滅罪抄
文永10年(ʼ73) 52歳 (四条金吾)
御文委しく承り候。
法華経の御ゆえに已前に伊豆国に流され候いしも、こう申せば謙らぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦び入って候いき。無始より已来、法華経の御ゆえに、実にても虚事にても科に当たるならば、いかでか、かかるつたなき凡夫とは生まれ候べき。一端はわびしきようなれども、法華経の御ためなればうれしと思い候いしに、少し先生の罪は消えぬらんと思いしかども、無始より已来の十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種々の重罪、大山より高く大海より深くこ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(195)四条金吾殿御返事(梵音声の事) | 文永9年(’72)9月 | 51歳 | 四条金吾 |
(196)呵責謗法滅罪抄 | 文永10年(’73) | 52歳 | (四条金吾) |