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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

御舎利なり。竜王これを給わって頂上に頂戴して、帝釈これを持って宝をふらす。仏の身骨の如意宝珠となれるは、無量劫来持つところの大戒身に薫じて骨にそみ、一切衆生をたすくる珠となるなり。たとえば、犬の牙の虎の骨にとく、魚の骨の鸕の気に消ゆるがごとし。乃至、師子の筋を琴の絃にかけてこれを弾けば、余の一切の獣の筋の絃、皆きらざるにやぶる。仏の説法をば師子吼と申す。乃至、法華経は師子吼の第一なり。
 仏には三十二相そなわり給う。一々の相、皆百福荘厳なり。肉髻・白毫なんど申すは菓のごとし。因位の花の功徳等と成って三十二相を備え給う。乃至、無見頂相と申すは、釈迦仏の御身は丈六なり。竹杖外道は釈尊の御長をはからず。御頂を見奉らんとせしに、御頂を見たてまつらず。応持菩薩も御頂を見たてまつらず。大梵天王も御頂をば見たてまつらず。これはいかなるゆえぞとたずぬれば、父母・師匠・主君を、頂を地につけて恭敬し奉りしゆえにこの相を感得せり。
 乃至、梵音声と申すは仏の第一の相なり。小王・大王・転輪王等、この相を一分備えたるゆえに、この王の一言に、国も破れ、国も治まるなり。宣旨と申すは、梵音声の一分なり。万民の万言は一王の一言に及ばず。則ち三墳五典なんど申すは、小王の御言なり。この小国を治め、乃至大梵天王、三界の衆生を随うること、仏の大梵天王・帝釈等をしたがえ給うことも、この梵音声なり。
 これらの梵音声、一切経と成って一切衆生を利益す。その中に、法華経は、釈迦如来の御志を書き顕して、この音声を文字と成し給う。仏の御心はこの文字に備われり。たとえば、種子と苗と、草と稲とはかわれども、心はたがわず。釈迦仏と法華経の文字とはかわれども、心は一つなり。しかれ