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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、この人は則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」等云々。法華経を一字一句も唱え、また人にも語り申さんものは、教主釈尊の御使いなり。しかれば、日蓮、賤しき身なれども、教主釈尊の勅宣を頂戴してこの国に来れり。これを一言もそしらん人々は罪を無間に開き、一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり。
 教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師なり。八万法蔵は皆金言、十二部経は皆真実なり。無量億劫より以来持ち給いし不妄語戒の所詮は、一切経これなり。いずれも疑うべきにあらず。ただし、これは総相なり。別してたずぬれば、如来の金口より出来して、小乗・大乗、顕・密、権経・実経これあり。今この法華経は、仏、「正直に方便を捨つ」等、乃至「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と説き給うことなれば、誰の人か疑うべきなれども、多宝如来証明を加え、諸仏舌を梵天に付け給う。
 されば、この御経は、一部なれども三部なり、一句なれども三句なり、一字なれども三字なり。この法華経の一字の功徳は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う。たとえば如意宝珠のごとし。一珠も百珠も同じきことなり。一珠も無量の宝を雨らす。百珠もまた無尽の宝あり。たとえば、百草を抹って一丸乃至百丸となせり。一丸も百丸も、共に病を治することこれおなじ。譬えば、大海の一渧も衆流を備え、一海も万流の味をもてるがごとし。
 妙法蓮華経と申すは総名なり。二十八品と申すは別名なり。月支と申すは天竺の総名なり。別しては五天竺これなり。日本と申すは総名なり。別しては六十六州これあり。如意宝珠と申すは釈迦仏の