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して云わく「末代に念仏の外の法華経等を雑うる念仏においては、千の中に一りも無し。一向に念仏せば、十は即ち十生ず」云々。日本国の有智・無智、仰いでこの義を信じて今に五十余年、一人も疑いを加えず。ただ日蓮の諸人にかわるところは、「阿弥陀仏の本願には『ただ五逆と誹謗正法とのみを除く』とちかい、法華経には『もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん』と説かれたり。これ、善導・法然、謗法の者なれば、たのむところの阿弥陀仏にすてられおわんぬ。余仏・余経においては、我と抛ちぬる上は救い給うべきに及ばず。法華経の文のごときは、無間地獄疑いなし」と云々。しかるを、日本国はおしなべて彼らが弟子たるあいだ、この大難まぬかれがたし。無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ、これなり。
前々の諸難はさておき候いぬ。去年九月十二日、御勘気をかぶりて、その夜のうちに頭をはねらるべきにてありしが、いかなることにやよりけん、彼の夜は延びて、この国に来っていままで候に、世間にもすてられ、仏法にもすてられ、天にもとぶらわれず、二途にかけたるすてものなり。
しかるを、いかなる御志にてこれまで御使いをつかわし、御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかわされたること、両三日はうつつともおぼえず。彼の法勝寺の執行が、いおうが島にてとしごろつかいける童にあいたりし心地なり。胡国の夷・陽公といいしもの、漢土にいけどられて北より南へ出でけるに、飛びちがいける雁を見てなげきけんも、これにはしかじとおぼえたり。
ただし、法華経に云わく「もし善男子・善女人、我滅度して後、能くひそかに一人のためにも、法
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(195)四条金吾殿御返事(梵音声の事) | 文永9年(’72)9月 | 51歳 | 四条金吾 |