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書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。事々見参の時を期せん。恐々謹言。
十一月三日 日蓮 花押
太田入道殿御返事
(152)
大田殿許御書
建治2年(ʼ76)または同3年(ʼ77)の1月24日 55歳または56歳 大田乗明
新春の御慶賀、自他、幸甚、幸甚。
そもそも、俗諦・真諦の中には勝負をもって詮となし、世間・出世とも甲乙をもって先となすか。しかるに、諸経・諸宗の勝劣は、三国の聖人共にこれを存じ、両朝の群賢同じくこれを知るか。法華経と大日経と、天台宗と真言宗との勝劣は、月支・日本にいまだこれを弁ぜず。西天・東土にも明らめざるものか。詮ずるところ、天台・伝教のごとき聖人、公場において是非を決せず、明帝・桓武のごとき国主、これを聞かざる故か。
いわゆる、善無畏三蔵等は「法華経と大日経とは理同事勝」等。慈覚・智証等もこの義を存するか。弘法大師は「法華経は華厳経より下る」等。これらの二義、共に経文にあらず、同じく自義を存する
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(151)太田入道殿御返事 | 建治元年(’75)11月3日 | 54歳 | 大田乗明 |
(152)大田殿許御書 | 建治2年(’76)または同3年(’77)の1月24日 | 55歳または56歳 | 大田乗明 |