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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり。ここに知んぬ、釈尊・大日の本意は、限って法華の最上に在るなり。しかるに、本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師、入唐の時、畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了わんぬ。法華・真言弘通の時、三説超過の一乗の明月を隠して真言両界の蛍火を顕し、あまつさえ法華経を罵詈して曰わく「戯論なり、無明の辺域なり」。自害の謬誤に曰わく「大日経は戯論なり、無明の辺域なり」。本師既に曲がれり、末葉あに直からんや。「源濁れば流れ清からず」等とはこの謂いか。これによって日本久しく闇夜となり、扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。
 そもそも、貴辺は嫡々の末流の一分にあらずといえども、はたまた檀那の所従なり。身は邪家に処して年久しく、心は邪師に染まって月重なる。たとい大山は頽るとも、たとい大海は乾くとも、この罪は消え難きか。しかりといえども、宿縁の催すところ、また今生に慈悲の薫ずるところ、存外に貧道に値遇して改悔を発起す。故に、未来の苦を償って現在に軽瘡出現せるか。
 彼の闍王の身瘡は、五逆・誹法の二罪の招くところなり。仏、月愛三昧に入ってその身を照らしたまえば、悪瘡たちまちに消え、三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち、兼ねてはまた、千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり。この禅門の悪瘡は、ただ謗法の一科なり。所持の妙法は月愛に超過す。あに軽瘡を愈やして長寿を招かざらんや。この語、徴無くんば、声を発して「一切世間眼は大妄語の人、一乗妙経は綺語の典なり。名を惜しみたまわば世尊験を顕し、誓いを恐れたまわば諸の賢聖来り護りたまえ」と叫喚したまえと、しか云う。