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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

   相待妙は迹、絶待妙は本なり。「妙法の外、さらに一句の余経すら無し」云々。「独一法界の故に、絶待と名づく」の釈これを思うべし。
脱益の十妙の本迹
   本果妙は本、九妙は迹なり。在世と天台とは、機の上の理なり。仏は本因妙を本となし、所化は本果妙を本と思えり。
脱益の六重の所説の本迹
   已今を本となし、余は迹なり。「本迹殊なりといえども、不思議一なり」云々。理具の本迹なれば、一部ともに迹の上の本迹なり。
脱益の六即所判の本迹
   妙覚は本、余は迹なり。
    玄の九に云わく「初めの十住を因となし、十行を果となす。十行を因となし、十回向を果となす。十回向を因となし、十地を果となす。十地を因となし、等覚を果となす。等覚を因となし、妙覚を果となす」云々。
脱益の十不二門の本迹
   理の上の不変の不二にして、事行の不二門にはあらざるなり。
脱益の十界互具の本迹
   理具の十界互具にして、事行の互具にはあらざるなり。九界の理を仏界の理に押し入るる方ならでは脱せざるなり。