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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索


    右、この血脈は本迹勝劣、その数一百六箇これを注す。数量について表事有り。これを覚知すべし。
    釈迦・諸仏の出世の本懐、真実真実・唯為一大事の秘密なり。しかるあいだ、万年救護のためにこれを記し留む。
    〈なかんずく六人の遺弟を定むる表事は、先々に沙汰するがごとし云々。ただし直授結要付嘱は一人なり。白蓮阿闍梨日興をもって総貫首となして、日蓮が正義ことごとくもって毛頭程もこれを残さず、ことごとく付嘱せしめ畢わんぬ。上首已下ならびに末弟等、異論無く、尽未来際に至るまで、予が存日のごとく、日興嫡々付法の上人をもって総貫首と仰ぐべきものなり。
    また五人ならびに已下の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外、万国にこれを流布せしむといえども、日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべきなり。所以はいかん、在世・滅後殊なりといえども、付嘱の儀式これ同じ。譬えば、四大六万の直弟の本眷属有りといえども、上行薩埵をもって結要の大導師と定むるがごとし。今もってかくのごとし。六人以下、数輩の弟子有りといえども、日興をもって結要付嘱の大将と定むるものなり。
    また弘長配流の日も、文永流罪の時も、その外諸処の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随うがごとくせしなり。誰かこれを疑わんや。また延山地頭発心の根元は日興教化の力用なり。遁世のこと、甲斐国御牧は日興懇志の故なり。
    また御本尊書写のこと、予が顕し奉るがごとくなるべし。もし日蓮御判と書かずんば、天神地祇もよも用い給わじ。上行・無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には「若悩乱者頭破七分(もし悩乱する者は頭七分に破れん)」「有供養者福過十号(供養することあらん者は福十号に過ぐ)」とこれを書すべきなり。経中の明文等、意に任すべきか。
    また立つ浪、吹く風、万物について本迹を分け、勝劣を弁ずべきなり〉。