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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の二字、寂照の二徳、生死の二法なり。色心因果なり。詮ずるところ、知見とは、妙法なり。九界所具の仏心を法華経の知見にて開くことなり。ここをもってこれを思うに、仏とは九界の衆生のことなり。この開覚顕れて、今身より仏身に至るまで持つや否やと示すところが、妙法を示す「示仏知見」と云うなり。師弟感応して受け取る時、「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」と悟るを、「悟仏知見」と云うなり。悟って見れば、法界三千の己々の当体、法華経なり。この内証に入るを、「入仏知見」と云うなり。秘すべし云々。
  また云わく、四仏知見とは、八相なり。「開」とは、生の相なり。「入」とは、死の相なり。中間の「示」「悟」は、六相なり。下天・託胎等は、「示仏知見」なり。出家・降魔・成道・転法輪等は、「悟仏知見」なり。権教の意は、生死を遠離する教えなるが故に、四仏知見にあらざるなり。今経の時、「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳」と開覚するを、四仏知見と云うなり。四仏知見をもって三世の諸仏は一大事と思しめし、世に出現したもうなり。この「開仏知見」の法華経を、法然は「捨閉閣抛」と云い、弘法大師は「第三の劣、戯論の法」とののしれり。五仏道同の舌をきる者にあらずや。慈覚大師・智証等は、悪子に剣を与えて我が親の頭をきらする者にあらずや云々。
  また云わく、「一」とは中道、「大」とは空諦、「事」とは仮諦なり。この円融の三諦は何物ぞ。いわゆる南無妙法蓮華経これなり。この五字は、日蓮出世の本懐なり。これを名づけて事となす。日本国の一切衆生の中に日蓮が弟子檀那と成る人は、「衆生にこの機有って仏を感ず。故に名づけ