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実にあらず。故に『諸仏』と云う。自行の実を顕す。故に『智慧』と言う。この智慧の体は、即ち一心の三智なり。『甚深無量』とは、即ち称歎の辞なり。仏の実智の竪に如理の底に徹ることを明かす。故に『甚深』と言う。横に法界の辺を窮む。故に『無量』と言う。無量・甚深にして、竪に高く横に広し。譬えば、根深ければ則ち条茂く、源遠ければ則ち流れ長きがごとし。実智既にしかれば、権智例してしかり云々。『其智慧門』とは、即ちこれ権智を歎ずるなり。けだし、これ自行の道前の方便にして進趣の力有り。故に名づけて門となす。門より入って道中に到る。道中を実と称し、道前を権と謂うなり。『難解難入』とは、権を歎ずるの辞なり。謀らずして了するは、無方の大用なり。七種の方便、測度すること能わず。十住に始めて解し、十地を入となす。初と後とを挙ぐ。中間の難示難悟は知るべし。しかるに、別して声聞・縁覚の知ること能わざるところを挙ぐることは、執重きが故に、別してこれを破するのみ」。
記の三に云わく「『竪に高く横に広し』とは、中において法・譬・合あり。これをもって後を例す。今、『実』を釈するに、既にあまねく横・竪を窮むれば、下に『権』を釈するに、理は応に深極なるべし。下に当に『権』を釈すべければ、あらかじめその相を述ぶ。故に『云々』と註す。『其智慧門』とは、『其』とは乃ち前の実果の因智を指す。もし智慧即ち門ならば、門はこれ権なり。もし智慧の門ならば、智は即ち果なり。『けだし、これ』等とは、この中にすべからく十地をもって『道前』となし、妙覚を『道中』となし、証後を『道後』となすべし。故に知んぬ、文の意は因の位に在り」。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |