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秘なり。内衣の裏に無価の珠を点くると、王の頂上にただ一珠有ると、二無く別無し。客作の人を指すに、これ長者の子にして、また二無く別無し。かくのごときの言は、これ秘なり、これ妙なり。経の『唯我知是相 十方仏亦然(ただ我のみ、この相を知れり。十方の仏もまたしかなり)』『止止不須説 我法妙難思(止みなん、止みなん。説くを須いず。我が法は妙にして思い難し)』のごとし。故に、秘をもって『方』を釈し、妙をもって『便』を釈す。正しくこれ今の品の意なり。故に『方便品』と言うなり」。
記の三に云わく「第三に秘妙に約して釈すとは、妙をもっての故に即なり。円をもって即となし、三つを不即となす。故に、さらに不即に対して、もって即を釈す」。
御義口伝に云わく、この釈の中に「一珠」とは、衣裏珠即ち頂上珠なり。「客作の人」と「長者の子」と、全く不同これ無し。詮ずるところ、謗法不信の人は体外の権にして、法用・能通の二種の方便なり。ここをもって二無く別無きにあらざるなり。
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、これ秘妙方便にして体内なり。故に、「妙法蓮華経」と題して、次に「方便品」と云えり。
妙楽、記の三に釈して、本疏の「即ちこれ真の秘なり」の「即」を、「円をもって即となす」と消釈せり。即は円なれば、法華経の別名なり。即とは、凡夫即極、諸法実相の仏なり。円とは、一念三千なり。即と円と、言は替われども、妙の別名なり。一切衆生、実相の仏なれば、妙なり、不思議なり。謗法の人、今これを知らざるが故に、これを「秘」と云う。
また云わく、法界三千を、「秘妙」とは云うなり。秘とは、きびしきなり、三千羅列なり。これ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |