SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

報の成仏を説き、提婆達多の天王如来は正報の成仏を説く。依報・正報、共に妙法の成仏なり。
  今、日蓮等の類い、聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。回向の文、これより事起こるなり。法華不信の人は「堕在無間(無間に堕在す)」なれども、題目の光をもって、孝子、法華の行者として訪わんに、あにこの義に替わるべけんや。されば、「下至阿鼻地獄」の文は、仏、光を放って提婆を成仏せしめんがためなりと、日蓮、推知し奉るなり。
第六 「導師何故(導師は何が故ぞ)」の事
  疏に云わく「良に以んみれば、説法・入定して能く人を導けば、既に『導師』と称す」。
  御義口伝に云わく、この「導師」は、釈尊の御事なり。「説法」とは無量義経、「入定」とは無量義処三昧に入りたもうことなり。
  詮ずるところ、「導師」において二つあり。悪の導師、善の導師これ有るなり。悪の導師とは、法然・弘法・慈覚・智証等なり。善の導師とは、天台・伝教等これなり。末法に入っては、今、日蓮等の類いは、善の導師なり。「説法」とは南無妙法蓮華経、「入定」とは法華受持の決定心に入ることなり。「能く人を導く」の「能」の字、心を留めてこれを案ずべし。涌出品の「唱導之師(唱導の師)」と同じことなり。詮ずるところ、日本国の一切衆生を導かんがために説法する人、これなり云々。
第七 「天鼓自然鳴(天鼓は自然に鳴る)」の事
  疏に云わく「『天鼓自然鳴』は無問自説を表すなり」。