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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

  しかのみならず、法華経の行者をば、三世の諸仏護念したもうなり。普賢品に云わく「一者為諸仏護念(一には諸仏に護念せらる)」と。「護念」とは、妙法蓮華経なり。諸仏の法華経の行者を護念したもうは、妙法蓮華経を護念したもうなり。機法一同して護念一体なり。記の三に釈して「法に約し、機に約し、皆護念するが故に」と云うは、この意なり。
  また、文句の三に云わく「『仏所護念』とは、前の地動瑞を決定するなり」。地動は、六番に惑を破ることを表すなり。妙法蓮華経を受持する者は、六番に惑を破ること疑いなきなり。神力品に云わく「於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑(我滅度して後において、応にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑いあることなけん)」。「仏自住大乗」とは、これなり。
  また一義に、仏の衆生を護念したもうことは、護とは「唯我一人 能為救護(ただ我一人のみ、能く救護をなす)」、念とは「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」、これなり。普賢品に至って「一者為諸仏護念」と説くなり。日蓮は生年三十二より南無妙法蓮華経を護念するなり。
第五 「下至阿鼻地獄(下阿鼻地獄に至る)」の事
  御義口伝に云わく、十界皆成の文なり。提婆が成仏、この文にて分明なり。宝塔品の次に提婆が成仏を説くことは二箇の諫暁の分なり。提婆はこの文の時、成仏せり。この「至」の字は白毫の行くことなり。白毫の光明は南無妙法蓮華経なり。「上至阿迦尼咤天(上阿迦尼咤天に至る)」は空諦、「下至阿鼻地獄」は仮諦、「白毫光(白毫の光)」は中道なり。これによって十界同時の成仏なり。「天王仏」とは、宝号を送るまでなり。されば、依正二報の成仏の時は、この品の「下至阿鼻地獄」の文は依