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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

皆護念するが故に乃至時機なおいまだ発せざれば、隠して説かず。故に『護念』と言う乃至いまだ説かざるをもっての故に護し、いまだ暢べざるをもっての故に念ず。『久黙(久しく黙す)』と言うは、昔より今に至るなり。『斯要(この要)』等の意、これを思って知るべし」。
  御義口伝に云わく、この「護念」の体においては、本迹二門の首題の五字なり。この護念において、七種の護念これ有り。一には時に約し、二には機に約し、三には人に約し、四には本迹に約し、五には色心に約し、六には法体に約し、七には信心に約するなり云々。今、日蓮等の類いは、護念の体を弘むるなり。
  一に時に約すとは、仏、法華経を四十余年の間、いまだ時至らざるが故に護念したもうなり。二に機に約すとは、「破法不信故 墜於三悪道(法を破して信ぜざるが故に、三悪道に墜ちなん)」の故に、前の四十余年の間、いまだこれを説かざるなり。三に人に約すとは、舎利弗に対して説かんがためなり。四に本迹に約すとは、護をもって本となし、念をもって迹となす。五に色心に約すとは、護をもって色となし、念をもって心となす。六に法体に約すとは、法体とは本有常住なり、一切衆生の慈悲心これなり。七に信心に約すとは、信心をもって護念の本となすなり。
  詮ずるところ、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、しかしながら護念の体を開くなり。護とは、仏見なり。念とは、仏知なり。この知・見の二字は、本迹両門なり。仏知を妙と云うなり。仏見を法と云うなり。この知見の体を修行するを、蓮華と云うなり。因果の体なり。因果の言語は、経なり。