SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 夫れ、仏滅度して後、二月十六日より正法なり。迦葉、仏の付嘱を請け、次に阿難尊者、次に商那和修、次に優婆毱多、次に提多迦。この五人、各々二十年にして一百年なり。その間は、ただ小乗経の法門のみ弘通して、諸大乗経は名字もなし。いかにいわんや法華経をや。
 次に弥遮迦・仏陀難陀・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の五人。五百年の間、大乗の法門少々出来すといえども、取り立てて弘通せず。ただ小乗経を正となす。已上、大集経の前の五百年の解脱堅固に当たれり。
 正法の後の五百年には、馬鳴・竜樹乃至師子等の十余人の人々、始めには外道の家に入り、次には小乗経を極め、後には諸大乗経をもって散々に小乗経等を破失しき。しかりといえども、権大乗と法華経との勝劣いまだ分明ならず。浅深を書かせ給いしかども、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当等、百界千如・一念三千の法門をば、名をも書き給わず。これ大集経の禅定堅固に当たれり。
 次に像法に入っては、天竺は皆権実雑乱して、地獄に堕つる者数百人ありき。像法に入って一百余年の間は、漢土の道士と月氏の仏法との諍論いまだ事定まらず。故に、仏法を信ずる心いまだ深からず。まして権実を分くることなし。摩騰・竺法蘭は、自らは知ってしかも大小を分かたず。権実までは思いもよらず。その後、魏・晋・宋・斉・梁の五代の間、漸く仏法の中に大小・権実・顕密を諍いしほどに、いずれを道理とも聞こえず。南三北七の十流、我意に仏法を弘む。しかれども、大いに分かつに、一切経の中には、一には華厳、二には涅槃、三には法華と云々。しかれども、像法の始めの四百年に当たって、天台大師震旦に出現して、南北の邪義一々にこれを破し畢わんぬ。これ大集経の多