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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

聞堅固の時に当たれり。
 像法の後の五百年には、三論・法相、乃至真言等を各三蔵将来す。像法に入って四百余年あって、日本国へ百済国より一切経ならびに釈尊の木像、僧尼等を渡す。梁の末、陳の始めに相当たる。日本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇なり。像法の後の五百年に、三論・法相等の六宗、面々の異義あり。しかれども、各邪義なり。
 像法八百年に相当たって、伝教大師日本に出でて、彼の六宗の義を皆責め伏せ給えりと云々。伝教已後には、東寺・園城寺等の諸寺、日本一同に云わく「真言宗は天台宗に勝れたり」と云々。これ大集経の多造塔寺堅固の時なり。
 今、末法に入って、仏の滅後二千二百二十余年に当たって、聖人出世す。これは大集経の闘諍言訟・白法隠没の時なり云々。
 夫れ、釈尊の御出世は、住劫第九の減、人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間は、在世は五十年、滅後は正像二千年と末法一万年となり。その中間に、法華経流布の時二度これ有るべし。いわゆる在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり。
 夫れ、仏法を学する法には、必ず時を知るべきなり。過去の大通智勝仏は、出世し給いて十小劫が間一偈もこれを説かず。経に云わく「一たび坐して十小劫」云々。また云わく「仏は時いまだ至らずと知ろしめして、請を受けて黙然として坐したまえり」。今の教主釈尊も、四十余年の間は法華経を説きたまわず。経に云わく「説時のいまだ至らざるが故なり」等云々。老子は母の胎に処して八十年、