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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 逐って申す。去ぬる夜、大衆僉議して、まずこの異名において殊に犬神人に付けて、これを責むべきの由、仰せ含めぬ。よって実名これを献ず。専修念仏の張本のこと、唯仏・境仏・智願・定真・円真・正阿弥陀仏・名阿弥陀仏・善慧・道弁、真如堂狼藉の張本なり已上。唐橋油小路ならびに八条大御堂、六波羅の総門の向かいの堂已上。当時興行の所なり。

 延暦寺別院雲居寺
 早く一向専修の悪行を禁断すべきこと。
 右、頃年以来、愚蒙の結党・奸宄の会衆を名づけて専修と曰い、闐閭に旁し。心に一分の慧解無く、口に衆罪の悪言を吐き、言を一念十声の悲願に寄せて、あえて三毒五蓋の重悪を憚らず。盲瞑の輩は是非を弁えず、ただ情に順ずるをもって多く愚誨に信伏す。持戒修善の人を笑ってこれを雑行と号し、鎮国護王の教えを謗ってこれを魔業と称す。諸善を擯棄し衆悪を選択し、罪を山岳に積み報を泥梨に招く。毒気深く入って禁じても改むることなく、ひとえに欲楽を嗜んで自ら止むこと能わず。なお蒼蠅の唾のために粘さるるがごとし。何ぞ狂狗の雷を逐って走るに異ならん。ほしいままに三寸の舌を振るって衆生の眼目を抜き、五尺の身を養わんがために諸仏の肝心を滅ぼす。しかしながら、ただ仏法の怨魔となり、専ら緇門の妖怪と謂うべし。
 ここをもって、邪師存生の昔は永く罪条に沈み、滅後の今はまた屍骨を刎ねらる。その徒、住蓮と安楽とは死を原野に賜い、成覚と薩生とは刑を遠流に蒙りぬ。この現罰をもってその後報を察すべし。