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の持つところならびにその印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんがために焼失すべきの由、奏聞仕り候い畢わんぬ。重ねて仰せ下され候か。恐々。
嘉禄三年十月十五日」
専修念仏の張本・成覚法師、讃岐の大手島に経回す云々。実否は分明ならず。たしかに撿知を加えらるべきの由、山門の人々申す。相尋ね申さしめ給うべきの由、殿下の御気色候ところなり。よって執達、件のごとし。
十月二十日 参議範輔 在判
修理権亮殿
〔関東より宣旨の御返事〕
隆寛律師のこと、右大弁宰相家の御奉書披露候い畢わんぬ。件の律師、去ぬる七月の比、下向せしむ。鎌倉近辺に経回すといえども、京都の制符に任せて念仏者を追放せらるるのあいだ、奥州の方へ流浪せしめ畢わんぬ云々。早く在所を尋ね捜し、仰せ下さるるの旨に任せて、対馬の島に追い遣るべきなり。この旨をもって言上せしむべきの状、鎌倉殿の仰せに依って、執達、件のごとし。
嘉禄三年十月十五日 武蔵守 在判
相模守 在判
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(086)念仏者追放宣旨事 |