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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索


 山門の奏状、詮を取ること、かくのごとし。
 また大和荘の法印・俊範、宝地房の法印・宗源、同坊の永尊竪者〈後に僧都と云う。ならびに題者なり〉等、源空が門徒を対治せんがために、各々子細を述ぶ。その文、広本に在く。また諸宗の明徳、面々に書を作って選択集を破し、専修を対治する書籍、世に伝う。

 宣旨篇〈南都北嶺の訴状によって専修を対治し、行者を流罪すべきの由、度々の宣旨の内、今は少を載せ、多を省く。委しくは広本に在く〉
 永尊竪者の状に云わく、
 「弾選択等、上送せらるるの後、山上に披露す。弾選択においては人ごとにこれを翫び、顕選択は諸人これを謗ず。法然上人の墓所をば、感神院の犬神人に仰せ付けて、これを破却せしめ畢わんぬ。その後、奏聞に及んで裁許を蒙り畢わんぬ。七月の上旬に法勝寺の御八講の次いで、山門より南都に触れて云わく『清水寺・祇園の辺り、南都・山門の末寺たるの処に、専修の輩身を容れし草菴においては、ことごとく破却せしめ畢わんぬ。その身においては使庁に仰せて、搦め取らるるのあいだ、礼讃の声、黒衣の色、京洛の中にすべてもって止め畢わんぬ。張本三人、流罪に定めらるといえども、逐電のあいだ、いまだ配所に向かわず。山門、今に訴え申し候なり』○この十一日の僉議に云わく『法然房の造れるところの選択は謗法の書なり。天下にこれを止め置くべからず』。よって、在々所々