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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

あるいはこの経を読む者は皆地獄に堕つと云い、あるいはその行を修せん者は永く生死に留まると云い、あるいはわずかに仏道の結縁を許し、あるいはすべて浄土の正因を嫌うと。しかるあいだ、本は八軸・十軸の文を誦し千部・万部の功を積める者も、永くもって廃退し、あまつさえ前非を悔ゆ。捨つるところの本行の宿習は実に深く、企つるところの念仏の薫習はいまだ積まず。中途に天を仰いで歎息する者多し。この外、般若・華厳の帰依、真言・止観の結縁、十の八・九皆棄置す〈これを略す〉。
 一、霊神を蔑如すること。
 右、我が朝は本これ神国なり。百王彼の苗裔を承けて、四海その加護を仰ぐ。しかるに、専修の輩は、永く神明を別えず、権化・実類を論ぜず、宗廟・祖社を恐れず、「もし神明を憑まば魔界に堕つ」云々。
 実類の鬼神においては置いて論ぜざるか、権化の垂迹に至っては既にこれ大聖なり。上代の高僧、皆もって帰伏す。行教和尚、宇佐宮に参るに、釈迦三尊の影、月のごとくに顕れ、仲算大徳、熊野山に詣るに、飛滝千仞の水、簾のごとくに巻く。およそ行基・護命・増利・聖宝・空海・最澄・円珍等は、皆、神社において新たに霊異を感ず。かくのごときは、源空に及ばざるの人か、また魔界に堕つべきの類いか〈これを略す〉。

 山門の奏状に云わく、
 一、一向専修の党類、神明に向背する不当のこと。
 右、我が朝は神国なり。神道を敬うをもって国の勤めとなす。謹んで百神の本を討ぬるに、諸仏の