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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

門徒を流罪すべきの由、綸言しきりに下る。また関東の御下知、勅宣に相副う。
 門葉等は遁るべきの術を失い、あるいは山林に流浪し、あるいは遠国に逃隠す。しかしてより、華夷は称名を抛ち、男女は正説に帰するものなり。しかるに、また近来、先規を弁えざるの輩、仏神を崇めざるの類い、再び専修の行を企て、なお邪悪の甚だしきを増せり。
 日蓮不肖なりといえども、かつは天下の安寧を思うがため、かつは仏法の繁昌を致さんがために、あながちに先賢の語を宣説し、称名の行を停廃せんと欲す。また愚懐の勘文を添え、すこぶる邪人の慢幢を倒さんとす。勘注の文繁くして見難し。知り易からしめんがために、要を取り、諸を省き、略して五篇を列ぬ。委細の旨は広本に在くのみ。

 奏状篇〈詮を取ってこれを注す。委しくは広本に在く〉
 南都の奏状に云わく、
 一、謗人・謗法のこと。
 右、源空、顕密の諸宗を軽んずること土のごとく沙のごとく、智行の高位を蔑ろにすること蟻のごとく螻のごとし。常に自讃して曰わく「広く一代聖教を見て知れるは我なり。能く八宗の精微を解する者は我なり。我すら諸行を捨つ。いわんや余人においてをや」。愚癡の道俗これを仰ぐこと仏のごとく、弟子の偏執遥かにその師に超え、檀那の邪見いよいよ本説に倍し、一天四海漸くもって遍し。事の奇特を聞くに、驚かずんばあるべからず。その中、殊に法華の修行をもって専修の讐敵となす。