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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

て地神は所を辞して天下静かならざるの由、ほぼ伝承するのあいだ、その仁にあらずといえども、愚案を顧みず言上せしむるところなり。外経に云わく「奸人朝に在らば、賢者進まず」云々。内経に云わく「法を壊る者を見て責めずんば、仏法の中の怨なり」云々。
 また風聞のごとくんば、高僧等を屈請して蒙古国を調伏す云々。
 その状を見聞するに、去ぬる元暦・承久の両帝、叡山の座主・東寺・御室・七大寺・園城寺等の検校・長吏等の諸の真言師に向かい、内裏の紫宸殿にして故源右将軍ならびに故平右虎牙を呪詛し奉らんことを請う日記なり。この法を修する仁は、弱くしてこれを行えば必ず身を滅ぼし、強くしてこれを持てば定めて主を失うなり。しからば則ち、安徳天皇は西海に沈み没し、叡山の明雲は流れ矢に当たり死し、後鳥羽法皇は夷の島に放ち捨てられ、東寺・御室は自ら高山に死し、北嶺の座主は改易の恥辱に値う。現罰眼を遮り、後賢これを畏る。聖人、山中の御悲しみはこれなり。
 次に、阿弥陀経をもって例時の勤めとなすべきの由の事。
 夫れ以んみれば、花と月と、水と火とは、時に依ってこれを用いる。必ずしも先例を追うべからず。仏法またかくのごとし。時に随って用捨す。その上、汝等の執するところの四枚の阿弥陀経は、四十余年未顕真実の小経なり。一閻浮提第一の智者たる舎利弗尊者は、多年の間この経を読誦するも、終に成仏を遂げず。しかる後、彼の経を抛ち、法華経に来至して華光如来となる。いわんや、末代悪世の愚人、南無阿弥陀仏の題目ばかりを唱えて順次往生を遂ぐべしや。故に、仏これを誡めて言わく、法華経に云わく「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」云々。教主釈尊、正しく阿弥陀経を