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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

しめ、去ぬる八月、弥四郎男の頸を切らしむ〈日秀等頭を刎ぬと擬することをこの中に書き入れよ〉。無智・無才の盗人たる兵部房静印をもって過料を取り、器量の仁と称して当寺の供僧に補せしめ、あるいは寺内の百姓等を催し、鶉を取り、狸を狩り、狼落の鹿を殺し、別当の坊においてこれを食らい、あるいは毒物を仏前の池に入れ、そこばくの魚類を殺し、村里に出だしてこれを売る。見聞の人、耳目を驚かさざるはなし。仏法破滅の基、悲しんでも余り有り。
 かくのごときの不善・悪行、日々相積もるのあいだ、日秀等、愁歎の余り上聞を驚かさんと欲するによって、行智条々の自科を塞がんがために種々の秘計を廻らし、近隣の輩を相語らい、遮って跡形も無き不実を申し付け、日秀等を損亡せしめんと擬するの条、言語道断の次第なり。冥につけ顕につけ、戒めの御沙汰無からんや。
 詮ずるところ、仏法の権実といい、沙汰の真偽といい、淵底を究めて御尋ね有り、かつは誠諦の金言に任せ、かつは式条の明文に準じて禁遏を加えられば、守護の善神は変を消し、擁護の諸天は咲みを含まん。しからば則ち、不善・悪行の院主代・行智を改易せられよ。はたまた、本主この重科を脱れ難からん。何ぞ実相寺に例如せん。誤らざるの道理に任せて日秀・日弁等は安堵の御成敗を蒙り、堂舎を修理せしめ、天長地久の御祈禱の忠勤を抽んでんと欲す。よって状を勒し、披陳す。言上、件のごとし。
  弘安二年十月 日    沙門日秀・日弁等、上る。
  大体この状のようにあるべきか。ただし、熱原の沙汰の趣、その子細出来せるか。