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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(081)

滝泉寺大衆陳状

 弘安2年(ʼ79)10月 58歳

 駿河国富士下方滝泉寺の大衆、越後房日弁・下野房日秀等、謹んで弁言す。
 当寺院主代・平左近入道行智、条々の自科を塞がんがために遮って不実の濫訴を致すの謂れ無きこと。
 訴状に云わく「日秀・日弁、日蓮房の弟子と号し、法華経より外の余経あるいは真言の行人は、皆もって今世・後世叶うべからざるの由、これを申す」云々〈取意〉。
 この条は、日弁等の本師・日蓮聖人、去ぬる正嘉以来の大仏星・大地動等を観見し、一切経を勘えて云わく「当時日本国の為体、権小に執著し実経を失没せるの故に、当に前代にいまだ有らざるの二難起こるべし。いわゆる自界叛逆難・他国侵逼難なり」。よって、治国の故を思い、兼日、彼の大災難を対治せらるべきの由、去ぬる文応年中、一巻の書〈立正安国論と号す〉を上表す。勘え申すところ、皆もって符合す。既に金口の未来記に同じ。あたかも声と響きとのごとし。
 外書に云わく「未萌を知るは聖人なり」。内典に云わく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」云々。これをもってこれを思うに、本師はあに聖人にあらずや。巧匠内に在り。国宝外に求むべからず。外