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る。今、幸いに、強仁上人、御勘状をもって日蓮を暁喩す。しかるべくんば、この次いでに天聴を驚かし奉って決せん。
誠にまた御勘文の為体、非をもって先となす。もし上人、黙止して空しく一生を過ごさば、定めて師檀共に泥梨の大苦を招かん。一期の大慢をもって永劫の迷因を殖うることなかれ。速々天奏を経て疾く疾く対面を遂げ、邪見を翻し給え。書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。ことごとく公場を期す。恐々謹言。
十二月二十六日 日蓮 花押
強仁上人座下
(080)
四十九院申状
弘安元年(ʼ78)3月 57歳
駿河国蒲原庄四十九院の供僧・釈日興等、謹んで申す。
寺務・二位律師厳誉のために、日興ならびに日持・承賢・賢秀等の学ぶところの法華宗をもって外道・大邪教と称し、往古よりの住坊ならびに田畠を奪い取り、寺内を追い出ださしむる謂れ無き子細
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(079)強仁状御返事 | 建治元年(’75)12月26日 | 54歳 | 強仁 |
(080)四十九院申状 | 弘安元年(’78)3月 | 57歳 |