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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(079)

強仁状御返事

 建治元年(ʼ75)12月26日 54歳 強仁

 強仁上人十月二十五日の御勘状、同十二月二十六日に到来す。このこと、余も年来鬱訴するところなり。たちまちに返状を書いて自他の疑氷を釈かんと欲す。ただし、歎くらくは、田舎において邪正を決せば、暗中に錦を服て遊行し、澗底の長松、匠を知らざるか。兼ねてまた定めて喧嘩出来の基なり。貴坊本意を遂げんと欲せば、公家と関東とに奏聞を経て露点を申し下し是非を糾明せば、上一人咲みを含み、下万民疑いを散ぜんか。その上、大覚世尊は仏法をもって王臣に付嘱したもう。世・出世の邪正を決断せんこと、必ず公場なるべきなり。
 なかんずく、当時、我が朝の為体、二難を盛んにす。いわゆる自界叛逆難と他国侵逼難となり。この大難をもって大蔵経に引き向かえてこれを見るに、定めて国家と仏法との中に大禍有るか。よって、予、正嘉・文永二箇年の大地震と大長星とに驚いて一切経を開き見るに、この国の中に前代にいまだ起こらざる二難有るべし。いわゆる自他叛逼の両難なり。これしかしながら、真言・禅門・念仏・持斎等、権小の邪法をもって法華真実の正法を滅失するが故に、招き出だすところの大災なり。只今他国より我が国を逼むべき由、兼ねてこれを知るが故に、身命を仏神の宝前に捨棄して、刀剣・武家の