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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(021)

十法界事

 正元元年(ʼ59) 38歳

 二乗、三界を出でざれば、即ち十法界の数量を失う云々。
 問う。十界互具を知らざる者、六道流転の分段の生死を出離して、変易の土に生ずべきか。
 答う。二乗は既に見思を断じ、三界の生因無し。底に由ってか界内の土に生ずることを得ん。この故に、二乗永く六道に生ぜず。故に、玄の第二に云わく「夫れ、変易に生ずるに、則ち三種有り。三蔵の二乗、通教の三乗、別教の三十心なり」已上。かくのごとき等の人は、皆、通惑を断じ、変易の土に生ずることを得て、界内の分段の不浄の国土に生ぜず。
 難じて云わく、小乗の教えは、ただこれ心生の六道を談ずるのみにして、これ心具の六界を談ずるにあらず。この故に、二乗は六界を顕さず、心具を談ぜず。いかんぞ、ただ六界の見思を断ずるのみにして六道を出ずべきや。故に、寿量品に「一切世間の天・人・阿修羅」と云うは、爾前・迹門両教の二乗、三教の菩薩、ならびに五時の円人を皆「天・人・修羅」と云う。あに未断見思の人と云うにあらずや。
 答う。十界互具とは、法華の淵底、この宗の沖微なり。四十余年の諸経の中には、これを秘して伝