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法華経にて、法華経は我が身の体をよび顕し給いける仏の御言にてこそありければ、やがて我が身三身即一の本覚の如来にてあるものなり。
かく覚りぬれば、無始より已来、今まで思いならわししひが思いの妄想は、昨日の夢を思いやるがごとく、あとかたもなく成りぬることなり。
これを信じて一遍も南無妙法蓮華経と申せば、法華経を覚って如法に一部をよみ奉るにてあるなり。十遍は十部、百遍は百部、千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり。かく信ずるを如説修行の人とは申すなり。南無妙法蓮華経。
(020)
一念三千法門
正嘉2年(ʼ58) 37歳
法華経の余経に勝れたること、いかなることぞ。この経に一心三観・一念三千ということあり。薬王菩薩、漢土に出世して天台大師と云われ、この法門を覚り給いしかども、まず玄義十巻・文句十巻・覚意三昧・小止観・浄名疏・四念処・次第禅門等の多くの法門を説きしかども、この一念三千の法門をば談じ給わず。百界千如の法門ばかりなり。御年五十七の夏四月の比、荊州玉泉寺と申す処にて、御
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(019)十如是事 | 正嘉2年(’58) | 37歳 | |
(020)一念三千法門 | 正嘉2年(’58) | 37歳 |