288ページ
れ給い、御返りなくしてむなしき島の塵となり給う。
詮ずるところは、実経の所領を奪い取って権経たる真言の知行となせし上、日本国の万民等、禅宗・念仏宗の悪法を用いし故に、天下第一、先代未聞の下剋上出来せり。しかるに、相州は、謗法の人ならぬ上、文武きわめ尽くせし人なれば、天許し国主となす。したがって、世しばらく静かなりき。しかれども、また、先に王法を失いし真言、漸く関東に落ち下る。存外に崇重せらるる故に、鎌倉また還って大謗法・一闡提の官僧・禅僧・念仏僧の檀那と成って、新寺を建立して旧寺を捨つる故に、天神は眼を瞋らしてこの国を睨め、地神は憤りを含んで身を震う。長星は一天に覆い、地震は四海を動かす。
余これらの災夭に驚いて、ほぼ内典五千・七千、外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭なり。しかれども、儒者の家には記せざれば知ることなし。仏法は自迷なればこころえず。この災夭は、常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず、定めて仏法より事起こるかと勘えなしぬ。
まず、大地震に付いて去ぬる正嘉元年に書を一巻注したりしを、故最明寺入道殿に奉る。御尋ねもなく、御用いもなかりしかば、「国主の御用いなき法師なれば、あやまちたりとも科あらじ」とやおもいけん、念仏者ならびに檀那等、また、さるべき人々も同意したるとぞ聞こえし。夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、その夜の害もまぬかれぬ。しかれども、心を合わせたることなれば寄せたる者も科なくて、大事の政道を破る。「日蓮が生きたる、不思議なり」とて、伊豆国へ流しぬ。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |