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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 棟梁たる法華経、既に大日経の椽梠となりぬ。王法も下剋上して王位も臣下に随うべかりしを、その時また一類の学者有って堅くこの法門を諍論せし上、座主も両方を兼ねて、事いまだきれざりしかば、世もたちまちにほろびずありけるか。例せば、外典に云わく「大国には諍臣七人、中国には五人、小国には三人諍論すれば、たとい政道に謬誤出来すれども国破れず乃至家に諫むる子あれば、不義におちず」と申すがごとし。仏家もまたかくのごとし。天台・真言の勝劣・浅深事きれざりしかば、少々の災難は出来せしかども、青天にも捨てられず黄地にも犯されず、一国の内のことにてありしほどに、人王七十七代後白河の法皇の御宇に当たって、天台座主・明雲、伝教大師の止観院の法華経の三部を捨てて、慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う。天台山は名ばかりにて、真言の山になり、法華経の所領は大日経の地となる。天台と真言と、座主と大衆と、敵対あるべき序なり。国また王と臣と諍論して、王は臣に随うべき序なり。一国乱れて他国に破らるべき序なり。しかれば、明雲は義仲に殺されて、院も清盛にしたがいられ給う。
 しかれども、公家も叡山も共にこの故としらずして世静かならずすぐるほどに、災難次第に増長して、人王八十二代隠岐法皇の御宇に至って、一災起これば二災起こると申して、禅宗・念仏宗起こり合いぬ。善導房は、法華経は末代には「千の中に一りも無し」とかき、法然は「捨閉閣抛」と云々。禅宗は、法華経を失わんがために、「教外に別伝し、文字を立てず」とののしる。この三つの大悪法、鼻を並べて一国に出現せしが故に、この国すでに梵釈二天・日月・四王に捨てられ奉り、守護の善神も還って大怨敵とならせ給う。しかれば、相伝の所従に責め随えられて、主上・上皇共に夷島に放た