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(013)
下山御消息
建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基
「例時においては、もっとも阿弥陀経を読まるべきか」等云々。
このことは、仰せ候わぬ已前より、親父の代官といい、私の計らいと申し、この四・五年が間は退転なく例時には阿弥陀経を読み奉り候いしが、去年の春の末夏の始めより、阿弥陀経を止めて、一向に法華経の内、自我偈読誦し候。また同じくは一部を読み奉らんとはげみ候。これまたひとえに現当の御祈禱のためなり。
ただし、阿弥陀経・念仏を止めて候ことは、この日比、日本国に聞こえさせ給う日蓮聖人、去ぬる文永十一年の夏の比、同じき甲州飯野御牧の波木井郷の内、身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給い候えば、さるべき人々御法門承るべきの由候えども、御制止ありて入れられず。おぼろけの強縁ならではかないがたく候いしに、ある人見参の候と申し候いしかば、信じまいらせ候わんりょうには参り候わず、ものの様をも見候わんために、閑所より忍んで参り、御庵室の後ろに隠れ、人々の御不審について、あらあら御法門とかせ給い候いき。
法華経と大日経・華厳・般若・深密・楞伽・阿弥陀経等の経々の勝劣・浅深等を先として説き給いし
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |