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この身に阿弥陀経を読み候わぬも、しかしながら、御ため、また父母のためにて候。ただ理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候わば、その時重ねて申すべく候。いかにも聞こしめさずしてうしろの推義をなさん人々の仰せをば、たとい身は随うように候えども、心は一向に用いまいらせ候まじ。
また恐れにて候えども、兼ねてつみしらせまいらせ候。この御房はただ一人おわします。もしやの御事の候わん時は、御後悔や候わんずらん。「世間の人々の用いねば」とは、一旦のおろかのことなり。上の御用いあらん時は、誰人か用いざるべきや。その時はまた用いたりとも何かせん。人を信じて法を信ぜず。
また世間の人々の思って候は、親には子は是非に随うべしと。君臣・師弟もかくのごとし。これらは、外典をも弁えず内典をも知らぬ人々の邪推なり。外典の孝経には、子父・臣君諍うべき段もあり。内典には「恩を棄てて無為に入るは、真実に恩を報ずる者なり」と仏定め給いぬ。悉達太子は閻浮第一の孝子なり。父の王の命を背いてこそ、父母をば引導し給いしか。比干が親父・紂王を諫暁して胸をほられてこそ、賢人の名をば流せしか。賤しみ給うとも、小法師が諫暁を用い給わずば、現当の御歎きなるべし。これは親のために読みまいらせ候わぬ阿弥陀経にて候えば、いかにも当時は叶うべしとはおぼえ候わず。恐々、申し上げ候。
建治三年六月 日 僧日永
下山兵庫五郎殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |