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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

大師と、この二人は漢土に渡り給いし時、日本国にて一国の大事と諍論せしことなれば、天台・真言の碩学等に値い給うごとに勝劣・浅深を尋ね給う。しかるに、その時の明匠等も、あるいは真言宗勝れ、あるいは天台宗勝れ、あるいは二宗斉等、あるいは「理は同じく事は異なり」といえども、ともに慥かの証文をば出ださず。二宗の学者等、しかしながら胸臆の言なり。しかるに、慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり。いわゆる金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻なり。この疏の為体は、「法華経と大日経等の三部経とは、理は同じく事は異なり」等云々。この疏の心は、大日経の疏と義釈との心を出だすか。なお不審あきらめがたかりけるかの故に、本尊の御前に疏を指し置いて「この疏、仏意に叶えりやいなや」と祈せいせしところに、夢に日輪を射ると云々。うちおどろきて「吉夢なり。真言勝れたること疑いなし」とおもいて、宣旨を申し下す。日本国に弘通せんとし給いしが、ほどなく疫病やみて四箇月と申せしかば、跡もなくうせ給いぬ。
 しかるに、智証大師は慈覚の御ためにも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給う。いわゆる、「真言・法華斉等なり。譬えば、鳥の二つの翼、人の両目のごとし」、また「叡山も八宗なるべし」と云々。この両人は、身は叡山の雲の上に臥すといえども、心は東寺里中の塵にまじわる。本師の遺跡を紹継するようにて、還って聖人の正義を忽諸し給えり。法華経の「諸経の中において最もその上に在り」の「上」の字をうちかえして大日経の下に置き、まず大師の怨敵となるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讐敵となり給う。されば、慈覚大師の夢に日輪を射ると見しはこれなり。仏法の大科これよりはじまる。日本国亡国となるべき先兆なり。