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されば、人のあまりににくきには、我がほろぶべきとがをもかえりみざるか、御式目をも破らるるか。御起請文を見るに、梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる。余、存外の法門を申さば、子細を弁えられずば、日本国の御帰依の僧等に召し合わせられて、それになお事ゆかずば、漢土・月氏までも尋ねらるべし。それに叶わずば、子細ありなんとて、しばらくまたるべし。子細も弁えぬ人々が、身のほろぶべきを指しおきて、大事の起請を破らるること、心えられず。
自讃には似たれども、本文に任せて申す。余は、日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三つの故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使いなり。経に云わく「即ち如来の使いなり」。また云わく「眼目なり」。また云わく「日月なり」。章安大師云わく「彼がために悪を除くは、則ちこれ彼が親なり」等云々。しかるに、謗法・一闡提の国敵の法師原が讒言を用いて、その義を弁えず、左右なく国の大事たる政道を曲げらるるは、わざとわざわいをまねかるるか。はかなし、はかなし。しかるに、事しずまりぬれば、科なきことは恥ずかしきかの故に、ほどなく召し返されしかども、故最明寺入道殿もまた早くかくれさせ給いぬ。
当御時に成って、あるいは身に疵をかぶり、あるいは弟子を殺され、あるいは所々を追い、あるいはやどをせめしかば、一日片時も地上に栖むべき便りなし。これにつけても、仏は「一切世間に怨多くして信じ難し」と説き置き給う。諸の菩薩は「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」と誓えり。「刀杖瓦石を加う」「しばしば擯出せられん」の文に任せて、流罪せられ、刀のさきにかかりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもいきりて、わざと不軽菩薩のごとく、覚徳比丘のよ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |