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在通王仏とならじ、摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ、耶輸陀羅は具足千万光相仏とならじ。三千塵点も戯論、五百塵点も妄語となりて、恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち、多宝仏は阿鼻の炎にむせび、十方の諸仏は八大地獄を栖とし、一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべし。いかでか、その義あるべき。その義なくば、日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。
されば、花は根にかえり、真味は土にとどまる。この功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
建治二年太歳丙子七月二十一日、これを記す。
甲州波木井郷蓑歩岳より安房国東条郡清澄山、浄顕房・義城房の本に送り奉る。
(011)
報恩抄送文
建治2年(ʼ76)7月26日 55歳 浄顕房
御状給び候い畢わんぬ。
親疎となく、法門と申すは、心に入れぬ人にはいわぬことにて候ぞ。御心得候え。
御本尊図して進らせ候。この法華経は、仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初めには、次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心えあるならば、日本国にこれより外に法華経の行者なし。これを皆人存じ候いぬべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |
(011)報恩抄送文 | 建治2年(’76)7月26日 | 55歳 | 浄顕房 |