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道善御房の御死去の由、去ぬる月ほぼ承り候。自身早々と参上し、この御房をもやがてつかわすべきにて候いしが、自身は内心は存せずといえども、人目には遁世のように見えて候えば、なにとなくこの山を出でず候。この御房は、また内々人の申し候いしは、「宗論やあらんずらん」と申せしゆえに、十方にわかちて経論等を尋ねしゆえに、国々の寺々へ人をあまたつかわして候に、この御房はするがの国へつかわして当時こそ来って候え。
またこの文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ。詮なからん人々にきかせなば、あしかりぬべく候。また、たといさなくとも、あまたになり候わば、ほかざまにもきこえ候いなば、御ため、またこのため、安穏ならず候わんか。
御まえと義城房と二人、この御房をよみてとして、嵩がもりの頂にて二・三遍、また故道善御房の御はかにて一遍よませさせ給いては、この御房にあずけさせ給いて、つねに御聴聞候え。たびたびになり候ならば、心づかせ給うこと候いなん。恐々謹言。
七月二十六日 日蓮 花押
清澄御房
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(011)報恩抄送文 | 建治2年(’76)7月26日 | 55歳 | 浄顕房 |