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を皆阿弥陀仏になしたるがごとく、すすめ給わざりけるやらん。
答えて云わく、この難は古の難なり。今はじめたるにはあらず。馬鳴・竜樹菩薩等は仏の滅後六百年・七百年等の大論師なり。この人々世にいでて大乗経を弘通せしかば、諸々の小乗の者疑って云わく「迦葉・阿難等は、仏の滅後二十年・四十年住寿し給いて正法をひろめ給いしは、如来一代の肝心をこそ弘通し給いしか。しかるに、この人々はただ苦・空・無常・無我の法門をこそ詮とし給いしに、今、馬鳴・竜樹等かしこしというとも、迦葉・阿難等にはすぐべからず〈これ一〉。迦葉は仏にあいまいらせて解りをえたる人なり。この人々は仏にあいたてまつらず〈これ二〉。外道は常・楽・我・浄と立てしを、仏世に出でさせ給いて苦・空・無常・無我と説かせ給いき。このものどもは常・楽・我・浄といえり。されば、仏も御入滅なりぬ。迦葉等もかくれさせ給いぬれば、第六天の魔王がこのものどもが身に入りかわりて仏法をやぶり外道の法となさんとするなり。されば、仏法のあだをば、頭をわれ、頸をきれ、命をたて、食を止めよ、国を追え」と諸の小乗の人々申せしかども、馬鳴・竜樹等はただ一・二人なり。昼夜に悪口の声をきき、朝暮に杖木をこうぶりしなり。しかれども、この二人は仏の御使いぞかし。正しく摩耶経には六百年に馬鳴出でて、七百年に竜樹出でんと説かれて候。その上、楞伽経等にも記せられたり。また付法蔵経には申すにおよばず。されども諸の小乗のものどもは用いず。ただ、理不尽にせめしなり。「如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」の経文は、この時にあたりて少しつみしられけり。提婆菩薩の外道にころされ、師子尊者の頸をきられし。このことをもっておもいやらせ給え。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |