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しぬ。同じき五月の十二日にかまくらをいでてこの山に入れり。これはひとえに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国の恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども、破れざれば、さてこそ候え。また賢人の習い、「三度国をいさむるに、用いずば山林にまじわれ」ということは、定まれるれいなり。
この功徳は、定めて上は三宝より下は梵天・帝釈・日月までもしろしめしぬらん。父母も故道善房の聖霊も扶かり給うらん。ただし疑い念うことあり。目連尊者は扶けんとおもいしかども、母の青提女は餓鬼道に堕ちぬ。大覚世尊の御子なれども、善星比丘は阿鼻地獄へ堕ちぬ。これは力のまますくわんとおぼせども、自業自得果のへんはすくいがたし。
故道善房は、いとう弟子なれば日蓮をばにくしとはおぼせざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはなれじと執せし人なり。地頭景信がおそろしといい、提婆・瞿伽利にことならぬ円智・実城が上と下とに居ておどせしをあながちにおそれて、いとおしとおもうとしごろの弟子等をだにもすてられし人なれば、後生はいかんがと疑う。ただし、一つの冥加には、景信と円智・実城とがさきにゆきしこそ一つのたすかりとはおもえども、彼らは法華経の十羅刹のせめをかぼりてはやく失せぬ。後にすこし信ぜられてありしは、いさかいの後のちぎりきなり。ひるのともしびなにかせん。その上いかなることあれども、子・弟子なんどいう者は不便なる者ぞかし。力なき人にもあらざりしが、さどの国までゆきしに一度もとぶらわれざりしことは、信じたるにはあらぬぞかし。
それにつけてもあさましければ、彼の人の御死去ときくには、火にも入り水にも沈み、はしりたちてもゆいて御はかをもたたいて経をも一巻読誦せんとこそおもえども、賢人のならい、心には遁世と
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |