SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

日蓮に値いぬれば悪口をはく。正直にして魏徴・忠仁公のごとくなる賢者等も、日蓮を見ては理をまげて非とおこなう。いおうや、世間の常の人々は、犬のさるをみたるがごとく、猟師が鹿をこめたるににたり。日本国の中に一人として「故こそあるらめ」という人なし。
 道理なり。人ごとに念仏を申す。人に向かうごとに念仏は無間に堕つというゆえに。人ごとに真言を尊む。真言は国をほろぼす悪法という。国主は禅宗を尊む。日蓮は天魔の所為というゆえに。我と招けるわざわいなれば、人ののるをもとがめず。とがむとても一人ならず。打つをもいたまず。本より存ぜしがゆえに。こう、いよいよ身もおしまずせめしかば、禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人、あるいは奉行につき、あるいはきり人につき、あるいはきり女房につき、あるいは後家尼御前等について無尽のざんげんをなせしほどに、最後には「天下第一の大事。日本国を失わんと呪そする法師なり。故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。御尋ねあるまでもなし。ただ須臾に頸をめせ。弟子等をばまた、あるいは頸を切り、あるいは遠国につかわし、あるいは籠に入れよ」と、尼ごぜんたちいからせ給いしかば、そのままに行われけり。
 去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、その夜はのびて依智というところへつきぬ。また十三日の夜はゆりたりとどどめきしが、またいかにやありけん、さどの国までゆく。今日切る、あす切るといいしほどに、四箇年というに、結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月の十四日にゆりて、同じき三月二十六日に鎌倉へ入る。同じき四月の八日、平左衛門尉に見参して、ようようのこと申したりし中に、「今年は蒙古は一定よすべし」と申