理はこの浅理。彼の極位はこの浅位。彼の極果はこの初心。彼の観心はこの教相。彼は台星の国に出生し、これは日天の国に出世す。彼は薬王、これは上行。彼は解了の機を利し、これは愚悪の機を益す。彼の弘通は台星所居の高嶺なり、この弘経は日王能住の高峰なり。彼は上機に教え、これは下機に訓う。彼は一部をもって本尊となし、これは七字を本尊となす。彼は相待開会を表となし、これは絶待開会を表となす。彼は熟脱、これは下種。彼は衆機のために「円頓は初めより実相を縁ず」と示し、これは万機のために南無妙法蓮華経と勧む。彼は悪口・怨嫉、これは遠島流罪。彼は一部を読誦すといえども二字を読まざること、これ在り、これは文々句々ことごとくこれを読む。彼は正直の妙法の名を替えて一心三観と名づく。ありのままの大法にあらざれば帯権の法に似たり。これは「信も謗も彼もこれも決定して菩提を成ぜん」と南無妙法蓮華経と唱えかく。彼は諸宗の謬義をほぼ書き顕すといえども、いまだ言説せず。これは身命を惜しまず他師の邪義を糾し三類の強敵を招く。彼は安楽・普賢の説相に依り、これは勧持・不軽の行相を用いる。彼は一部に勝劣を立て、これは一部を迹と伝う。彼は応仏のいきをひかう。これは寿量品の文底を用いる。彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、これは久遠元初の自受用報身の無作本有の妙法を直ちに唱う。
これらの深意は、迹化の衆、普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付嘱せざるところの大事なれば、知らざるところの秘法なり。いわんや凡師においてをや。
もし末法において本迹一致と修行し、所化等に教うる者は、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、それに随従せんともがらも阿鼻に沈まんこと疑いなきものなり。この書、一見の人々は、理〈普賢〉・智〈文殊〉一言の薩
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(458)本因妙抄 |