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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 五に住不思議顕観。文に云わく「理は造作にあらざるが故に『天真』と曰い、証智は円明なるが故に『独朗』と云う」云々。釈の意は、口唱首題の理に造作無し。今日熟脱の本迹二門を迹となし、久遠名字の本門を本となす。信心強盛にして、ただ余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即仏身なり。これを天真独朗の即身成仏と名づく。
    問うて曰わく、前代にこの法門を知れる人これ有りや。答えて曰わく、これ有り。求めて云わく、誰人ぞや。示して云わく、釈尊これなり。尋ねて云わく、仏を除き奉って、余にこれを知れる人師・論師有りや。答えて曰わく、天台云わく「天親・竜樹、内鑑泠然、外適時宜(天親・竜樹、内に鑑みるに泠然にして、外には時の宜しきに適う)」。今日の南無妙法蓮華経は、「南岳・天台・妙楽・伝教、内鑑泠然、外適時宜」なり。「内鑑泠然、外適時宜」の修行の日は本迹一致なり。有智無智を嫌わず、「円頓は初めより実相を縁ず」「理は造作にあらざるが故に『天真』と曰い、証智は円明なるが故に『独朗』と曰う」と云って、理位観行に趣かしめて利益をなし、末法の時を待つものなり。故に天台云わく「ただ当時大利益を獲るのみにあらず。後の五百歳、遠く妙道に霑わん」云々。天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は、内証は本迹勝劣、外用は本迹一致なり、その故は、教相も観心も相似・観行の解了の人師にして、時機また像法なり。付嘱は即ち妄授余人、御身もまた迹化の衆たる観音・妙音・文殊・薬王等の化身なり。今、末法は、本化の薩埵たる上行等の出世の境にして、本門流宣の時剋なり。何ぞ理観を用いて事行を修せざらんや。予が所存は内証・外用共に本迹勝劣なり。もし本迹一致と修行せば、本門の付嘱を失う物怪なり。
    本迹の不同は処々にこれを書す。しかりといえども、宿習拙き者、本迹に迷倒せんか。もし本迹勝劣を知らずんば、未来の悪道最も不便なり。宿業を恥じず、還って予を恨むべきか。我が弟子等の中にも、天台・伝教の解了の理観を出でず、本迹について「一往勝劣、再往一致」の謬義を存して自他を迷惑せしめんの条、宿習のしからしむるところか。閻浮提第一の秘事たりといえども、万年救護のためにこれを記し留むるものなり。我が未来において、予が仏法を破らんがために、一切衆生の元品の大石、第六天の魔王、師子身中の蝗虫と成って、名を日蓮に仮りて本迹一致という邪義を申し出だして、多くの衆生を当に悪道に引くべし。もし道心有らん者は、彼ら