2222ページ
釈、これを思うべきものなり已上。
玄文畢わんぬ。
文句七面の決とは、一に依名の一面。その義、上のごとし。二に感応の一面。三時弘経に亘るべし。爾前・迹門の正像二千年の弘経の感応より本門の末法弘通の感応は真実真実勝るるなり。三に四教の一面。四に五時の一面。五に本迹の一面。六に体用の一面。七に入己心の一面。ことごとく皆、その心前に同じ。智威大師の伝には、玄義・文句の両部には爾前・迹門に各三十重の浅深をもって口決し給えり。つぶさには伝教大師の七面の決のごとし。
また摩訶止観一部には十重顕観を立ててこれを通じ給えり。
一は待教立観。爾前・本・迹の三教を破して、不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ。文に云わく「円頓は初めより実相を縁ず」云々。迹門を理具の一念三千と云う。脱益の法華は本迹共に迹なり。本門を事行の一念三千と云う。下種の法華は独一の本門なり。これを不思議実理の妙観と申すなり。
二に廃教立観。心は、権教ならびに迹執を捨てて本門首題の理を取って事行に用いよとなり。
三に開教顕観。文に云わく「一切諸法は本よりこれ仏法なり。三諦の理を具するを名づけて仏法となす。いかんぞ教を除かん」云々。文の意は、観行理観の一念三千を開して、名字事行の一念三千を顕す。大師の深意、釈尊の慈悲、上行所伝の秘曲これなり。
四に会教顕観。教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよとなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(458)本因妙抄 |